専門学校時代の話しです。
18歳~21歳まで。専門学校は3年間ありました。
専門学校時代は僕の人生の中で最も好きな時代です。戻れるのなら、フワフワと毎日を過ごしていたこの時代に戻りたいです。
宮城県仙台市にあるIT専門学校に進学しました(2002年4月~2005年3月)
工業高校を出て、他県にある3年間のIT系専門学校に進学しました。進学した理由は
- なんとなく高校を出てすぐに働きたくなかった
- 専門学校卒なら高卒よりも給料が良いという話をどこかで聞いたから
- なんとなくパソコンが好きだった
というそれだけの理由です。深く考えてはいませんでした。
地元の大学に進学する選択肢もありました。
推薦可能な成績ではあったので、推薦ならほぼ確実に入れたようですが、その大学はFラン中のFランで地元でもいい噂はなく、そこに入るくらいなら高卒で働いたほうがいいとまで言われているような馬鹿大学だったので専門学校にしました。
今は専門学校にしておいて良かったと思ってます。
初めての一人暮らし
場所は旭ヶ丘駅近く。家賃32,000円、当時築20年程度の2F建て木造アパートで3年間一人暮らししていました。画像は当時の部屋です。
住居選びは適当でした。母から月に8万円を仕送りしてくれるという話があったので、8万円でやりくりできそうな家賃で選びました。
専門学校からは駅で6~7駅程度、自転車で30分ほどの距離です。旭ヶ丘は緑が多く、住むにはとてもいい街でした。
木造アパートで1Fに住んでいたこともあり、引っ越して早々に騒音問題に悩まされました。
2Fに住んでいたのが大学生のデブ野郎で、足音やドアを閉める音がとても煩く、またホームシアターを使って映画を大音量で鑑賞していたのがとてもストレスでした。
気の強い僕は早々に壁ドン(天井を殴ったので天ドンというのかな?)をしかけ、壁ドンをして暫くは静まるのですが、また時間が開くと大音量で映画を見始めたので、次はドアを思いっきり蹴って喧嘩を仕掛けました。
若気の至りというやつです。それ以後、騒音に悩まされることはなくなったので、結果オーライではありましたが・・・。
なお、この時の天ドンが災いとなって天井に大きな穴が3箇所も空いてしまいましたが、敷金の32,000円で賄うことができました。意外と修繕費用は安いようです。
基本情報の勉強で初めての挫折を味わう
これまで敷居の低い人生を歩んできたので、大きな挫折を味わったことがありませんでした。初めて人生の挫折を味わったのが基本情報処理試験の勉強です。
IT系の専門学校だとどこでもあると思いますが、大体取っ掛かりとして基本情報処理試験の合格を目指すと思います。挫折のキッカケとなったのはプログラムのアルゴリズムでした。
アルゴリズムは論理的思考力が問われるので、それまでの人生において論理的に物を考えたことがなかったので大きく躓いてしまいました。
一度躓くとやる気がでなくなるもので、次第に学校に通うのが面倒くさくなっていきました。
授業についていけなくなって、学校に行ってもよく寝てばかりいたと思います。結局、基本情報には合格できませんでした。
ラグナロクオンラインにどっぷりとハマってた
勉強についていけなくなり、次第に学校に通うのも面倒くさくなっていた頃、ラグナロクオンラインというネットゲームに出会いました。
きっかけは、ディアブロ2というゲームで知り合ったネットの友人に誘われたことです。
ラグナロクオンラインの全てにハマってしまいました。本当に何もかもが好きだった。
ネットゲームは基本的に時間のあるものが上位に行ける設計で、レベル上げ等は基本的に単純作業を繰り返すのみです。
ラグナロクオンラインは音楽や雰囲気がとても僕好みで、ゲーム内でのレベルや知名度が上がるに連れて次第に学校に行かなくなり、アパートに引き篭もってレベル上げばかりしていました。
現実ではどんどん落ちこぼれていきますが、ネット上では単純作業を繰り返すだけでどんどんレベルが上っていったのです。
ラグナロクオンラインの昔話
少しROの頃の話でもします。ROを知らない方がこれを読んでも詰まらないと思いますので、流し読みか飛ばしていただければと思います。
僕が初めに選んだキャラは騎士(AGI)でした。騎士を選んだ理由はなんとなくカッコいいからです。
初めはプロンテラの下水で盗蟲退治に勤しみました。ピキィ!ピキィ!と声を上げながら絶命していくゴキブリ達を尻目にどんどん強くなりました。
その後はエルダーを狩ったり、ミョルニル山で死んだ魚のような目をしながら何時間もホルンを狩ったりしていたのが懐かしいです。
エルダーを狩って枝を集めてはコツコツ換金し、属性刀を200kで購入し、AGIキャラなら誰もが欲しがる一品、木琴マントを作るべく、Freeは足りてなかったもののゲフェンダンジョン2Fに早々に篭りだしました。
これまでは順調にレベルや装備が整ってきましたが、ここで氷河期になります。
木琴マントを作るためのウイスパーカードがドロップする確率は1/5000ほどで、つまり期待値としては5000匹ほどウイスパーを狩らないとならないのです。とてつもなく長い道のりが待っていたのでした。
(‘A`)「ツーハンドクイッケン!!」 キュピィーン!
(‘A`)「インデュア!!」 ジュォー!!
(‘A`)「ボウリングバッシュ!!」 ガーター!!
二週間くらい毎日10時間ほど白い化け物をぶった切りました。毎日毎日10時間もウイスパーを狩っていたので夢にもウイスパーが出てきたくらいです。
5000匹になるまでは数えていましたが、結局6000匹、7000匹と狩っても一向にウイスパーカードはでませんでした。
しかし、苦労すること2週間、ウイスパーカードがついにドロップしました。
(‘A`)「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!うおしゃーーーーー!!!!!!!!!!!」
と、絶叫して喜んだのは今も鮮明に思い出せます。脳化エンドルフィンがドクドクと流れ幸福感が絶頂に達しました。苦労した分の報いがあったのです。
この時はコレまでの人生で一番の達成感を感じました。この達成感がより深みへと引きずり込むことになったわけですが・・。
学校に行かずコツコツと狩りをしていたらコモドパッチ前にレベルが90を超え、当時は廃人しか入ることの出来ない時計塔4FにAGI騎士でソロ狩りしていました。
時計塔4Fは閉鎖された空間で、LV90以上の廃人のみが入場できる場所であった為、とても人は少なく、自分はレベルが高いんだという優越感を味わいながらプレイすることができた為、まさに自分の居場所が出来た瞬間でした。
ラグナロクオンラインにハマっていたときが人生で一番楽しかったような気もします。
成績はクラスでもビリクラスの落ちこぼれだった
成績は芳しくなく、まさに落ちこぼれでした。授業への出席率も低く、サボっては家でラグナロクオンラインばかりしていました。
また、IT系の専門学校なのに資格は1つもとれませんでした。取る人は基本情報に始まって、応用情報、MCP、CCNAまで取得していましたが、何一つ取得できず。
そもそも授業中は寝ているし、家ではネットゲームばかりしていたので当たり前といえば当たり前です。
一度だけこのままではまずいと思い、基本情報より簡単な初級シスアドという資格を目指して勉強した時期もありましたが、受けたはいいものの午前58点という点数で落ちてしまいました。
午後は8割くらいとれていたので悔やまれる結果となりました。専門学校時代に勉強したのはそのときだけです。
結局合格できず、またしても引き篭もってゲームばかりしていました。
学校はサボってばかり。ひどい時には二週間以上無断で休み、専門の先生から電話来たことがあるくらいです。
当然、出席日数も足らなくなってしまい、春休みのほぼ全てを補修に使うことになってしまいました。キング・オブ・落ちこぼれってやつです。