母に付き添ってiphone教えたり、地元の友人と遊んだり

朝の6時に起床。

完全にスッキリするまで二度寝したいのだが覚醒してしまってダメだね。

朝食代わりにコーヒーを飲んだ後、運動不足にならぬよう近所の畦道を散歩。

散歩をしていて思ったのが、田んぼが広がる道ってもしかして田んぼの所有者の私道なのではないだろうか?ということであった。

昔から勝手に通って水路にたくさんいるザリガニを大量に捕獲したりしていたもんだけど、もしかして本当はダメなんじゃ…なんて、余計なことを考えながら歩いてた。

帰宅後、少し早いけど母の日のプレゼントとして注文していた品が届く。

実用性重視として、車でもiphoneの充電ができるように出来るセットと、あとはiphoneを立てて使えるスタンドをプレゼントすることにした。

↑買ったのはこれ。

開封して使えるようにセッティングしたは良いものの、なんとも味気ないプレゼントだなぁなんて思ってしまった。

今日も今日とて母にiphone講座を開く。

今日の講座は「フリーWifi」について教えた。

ITはほとんど知らぬ母だが、地元では浪人してまでも行く価値のあると言われた伝統の高校にいっていた地頭があるのと、iphoneへの興味があるので、僕がしっかりと教えればちゃんと覚えてくれる。

あんまり理解ができていない場合は、僕の教え方が悪いのだと自分に言い聞かせながら粘り強く教えるようにしている。

あとは教えるべきものと教えなくて良いものの取捨選択も大事だなーと思う。不必要な部分を全て教えては混乱してしまうしね。

シニア世代はWifiってなんだよ!って世代なので、まずは噛み砕いて「Wifi」と「携帯電波」の違いからゆっくりと教え、「Wifi」の理解が進んだ後に手順を伝え、うまくいったら反復させるという手法で教えていた。

そんな僕の努力もあってか、パソコンもゲームもしていない世代の60中盤なのに、フリーWifiのある場所を理解し、フリーWifiを使う手順を覚えていた。

auのWifiスポットにて、Wifiに入って最新のiOSをダウンロードしてインストールすることも覚えた。「なぜWifiじゃないとiOSをダウンロードできないのか?」と言うこともしっかり理解した。

上記で書いた文章は、多分、シニア世代のほとんどは全くわからないと思う。iOS…?Wifi…?ダウンロード…?インストール…?

僕は生まれた時代が良かったかもしれんなぁ、なんて、母に教えながらそう思った。

母は今後、スタバやドトールなどのカフェに1人で行き、カフェのWifiを利用してネットサーフィンするのだと言っていた。ボケ防止にもなって何よりである。

日中はそんな感じで母にiphone教えたり、昼寝したりして過ごした。

昼食は串かつ。激ウマ。

夜は地元の友人を誘ってご飯へ。

お酒でも飲もうかと思っていたら、友人が飲みすぎて肝臓をぶっ壊してしまったらしく、お酒無しの夕食へ。

友人の一人はタバコを吸う人なのだが、僕がタバコアレルギーになってしまったことを伝えると、快く禁煙してくれた。理解のできる良いやつだと思う。

久しぶりにあって色々と話した。

二人目の子供が生まれた友人は相変わらず幸せそうであった。

お小遣い2万円で自分の時間もほとんどない状況は自由な独身者から見ると微妙な生活に思えるかもしれないけど、実際は子供が可愛いかったり家族に必要とされて誰かのために生きるようになったりと、幸せの価値観が変わるのだと彼は言っていた。弟も同じ事を言っていた。

今はそれが理解できるようになった。

幸せとはなんぞやと何年も思い続けてきたけれど、最近はようやく自分なりの幸せとは何かというのが少しばかりわかるようになってきた。まぁ人間は変化する生き物だからまた変わるかもしれないけど。

少なくとも、他人の結婚生活を皮肉って独身は自由だ!劣化する女なんてとっかえひっかえだ!独身のほうが幸せだ!とは思わなくなった。そういって自分を慰めるのは虚しいだけだと自分の経験からそう思う。

しかしまぁ地元の話になると全くついていけず、相槌しか打てないところが悲しい。

地元を離れて16年…。地元の人間ならわかる地名も殆どわからなくなってしまっていたよ。

夜は海辺をドライブ。気持ちよかった。

1時間か2時間も話すと僕は疲れからか発声がしづらくなるので、友人同士が話している中、僕はと言えば後部座席に1人座り、遠くを見つめながらボーッとしていた。

はぁ、しかし、地元に戻れるのなら戻りたいものだよ。

地元愛は薄いけれど、やっぱり生まれ育った土地は色々な意味で居心地良いからね。

東京から地元に戻った友人を見て強くそう思った日だった。