新卒時代(ブラック企業の時の話。21歳。)

人間の質はかなり低い

基本的に誰でも受かるような会社だったので、人間の質は非常に低かったです。

学がないのは当たり前の事、職場で暴力的な言葉を普通に吐いたりする人もいました。

共通していたのは、みんな頭が悪いということです。このような最悪な条件なのに長い間働くような人もいました。思考停止で奴隷のように働き続けるのです。

不満がピークに達して無断欠勤

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毎日毎日、土日もなく朝の7時から23時半まで仕事をする日々に、やはりこれはどう考えてもおかしいと気付き、段々と不満が溜まってきました。

1ヶ月半ほどこの日々が続いた頃、不満はピークに達し、遂に無断欠勤してやりました。

初めての反抗です。たしか8時頃に先輩から電話が鳴りましたが無視しました。

その後、所長からも電話が何度も鳴りましたが一切無視しました。

鳴りまくって鬱陶しいので電源を切って、その日は寝て過ごしました。

不安と怒りで何も手に付かなかった記憶があります。本当に寝てばかりいました。

翌日も無断欠勤しました。前日に辞めることを決意したので、携帯の電源を入れて、電話が鳴ったら今回は出て辞める意思を告げようと考えました。

運良く?この日も先輩から電話がなりました。

無断欠勤したことを怒られるかと思いましたが、意外にも先輩は優しく、体調を気遣うような発言があったような記憶です。

その電話で辞める発言をしました。

先輩は辞める意思を告げた僕に対し優しく諭してくれて、むしろ辞めることを肯定してくれました。

その優しさがその場限りのものだったのかはわかりません。

事務所にも連絡しておきなと言われ、事務所にいる部長に電話をして辞めることを伝えました。

しかしその時は受け入れてくれず、一度会社に来るよう言われ、翌日に会社に出社することになりました。

正直行きづらかったし、そのままバックレてやろうかとも考えましたが・・・。

部長に不満をぶちまける

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行きたくなかったのですが、作業着を借りていたこともあるので、仕方なく会社に出向きました。

出社すると部長に奥の部屋に連れて行かれました。

その場所は面接をしたところと同じ場所です。

部長は怒り気味に、無断欠勤がどうのこうの(詳しくは覚えてません)と叱責してきました。

その時は会社に対して不満がピークに達していたので、ぐだぐだ説教を言われて腹が立ってきたこともあり、部長を睨みつけながら怒鳴り散らしました。

睨んで怒鳴った記憶はありますが、具体的にどんなセリフだったのかまでは覚えてません。

部長も話をしても無駄だと悟ったのでしょうか、そのまま退職の運びとなりました。

退職の運びとなったものの、その後も所長から何度も電話が鳴っていましたが、鬱陶しかったので着信拒否しました。

そして転職活動へ

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新卒で入った会社は結局2ヶ月も持たずに退職しました。

ブラック企業のくせに社会保険に入っていたので、履歴書が汚れてしまったことに強い憤りを感じました。

仙台にある専門を出てから東京に1人で上京し、一人暮らしをしていて貯金も20万円程度しかなかったので、早く次の職場を見つけないと家賃さえ払えなくなるという非常に切羽詰まった状況でした。

おまけに、新卒で入った会社をわずか2ヶ月も持たずに辞めていることから、次は決まらなくなるんじゃないかという強い不安を感じていました。

この時、母親には辞めたことを伝えてはいません。わずか2ヶ月で辞めたことを知ったら心配をかけるだけだろうと思ったからです。

辞めて即、転職活動をしました。

転職活動は主にネットのリクナビで探したと思います。大手企業はどうせ無理と判断し、中小企業に絞って、未経験でも入れそうな会社に合計3社応募しました。

1社落ちたような記憶がありますが、残りの2社は内定を頂きました。

1社はうさんくさいガス会社で、主なビジネスはガスの点検のほかに、老人に対して家電を高く売りつけるという胡散臭い商売をしていました。

胡散臭かったので即蹴りました。

3社目はこの後3年間お世話になるカスタマーエンジニア(パソコン修理)の小さな中小企業です。

お金に困っていたこともあり、すぐに働きたい旨を面接官に伝えたところ、ラッキーなことに6月20日から働くことができました。

他の時代はこちら

高校時代(1999年4月~2002年3月)
専門学校時代(2002年4月~2005年3月)
新卒時代(ブラック企業の時の話。21歳。)
社会人時代 その2(2社目に転職してからの話。)
社会人時代 その3(3社目の大手子会社の話し。24歳~28歳の頃)