小学生の頃に蒸発した屑な父親

 

蒸発する当日、いつものように朝、家族で食事をして、いつものように仕事に出ていった父に家族で行ってらっしゃいと言った事は今でも鮮明に覚えていて、色褪せない記憶となってしまっている。

父は蒸発する前から度々やましいことをしてしまう度に「家出」をするところがあって、ひどい時には一週間くらい音信不通になることもあった。

やましいことの大半がギャンブルでの借金である。(これは大人になってから母から聞いた)

色々と経験して色々な人を見てきていい年になってわかるが、僕の父は間違いなくゴミ屑だと思う。

家族を捨てて、借金して遊んで、まだ幼かった僕と弟を放ったらかしにして家出をしていたのだから屑以外の何者でもない。

たしか覚えてる限りで僕が幼稚園~小学3年の間に、数日~一週間の家出を5~6回はしていたと思う。

当時幼かった僕は父に家出をされる度、ひどく寂しい気分になって毎回「捨てられてしまった」という気持ちになって憂鬱な気分で日々を過ごしていた。

今思えば、あの時はきっと鬱病だったのだと思う。何をしていても笑えないし手に付かないし父のことが忘れられずに頭に浮かび、浮かぶ度にひどく憂鬱な気分が長く続いてしまっていた。

それでも長くて一週間もすれば何気ない顔で帰ってきたので、母は泣きながら怒るものの、幼かった僕は嬉しかったし、父親がいてくれるだけで安心した気持ちになった。

それで、家出をされるのが怖くなって、休日となれば僕と弟はずっと父親とどこへ行くにも寄り添うようになって、友だちとも遊ばずに父親の後を付けていった。

そんな僕と弟の気持ちとは裏腹に、父親は小学校低学年の僕と弟を連れて、どこに行くかと思えばパチンコだった。(今思えば、父はもしかしたらギャンブル中毒だったのかもしれない。)

最後の家出をしてから、これまでは一週間もあれば帰ってきたのに、二週間、三週間と経っても帰ってくることはなかった。

当時一番辛かったのは、父親に捨てられてしまったという事実も辛かったが、母が毎日泣いている事であった。

幼ない子供が見たくないものの上位に親の泣き顔があると思う。深い心にピシッと大きな亀裂が入った衝撃は未だに覚えてる。

蒸発した理由はやっぱり借金だった。

蒸発してから1ヶ月くらいたった頃、今でも覚えているが(消したい記憶だけど)夜中の21:00に蒸発した父から電話が鳴った。

運悪く、出たのは僕。

出た瞬間は父と話せて嬉しい!という単純な思いで一杯だったが、その時の父親との会話が反吐が出るほどにクソな会話で、当時の僕は混乱してしまった。会話の内容は伏せることにする。

途中で母と電話が代わり、僕は自分の部屋に戻って、布団に包まって目と耳を塞いでいたのであった。

電話が終わった後、母は父に会いに行ったようで、そこからどうなったのかは僕は知らない。
後日、母から泣きながら「離婚することになった」と聞かされた。

その後20年以上、父とは音信不通である。

心の整理がついたのは確か1年か2年くらい経ってやっとだったと思う。
今思うと、よくあんな気分のまま学校に行けていたと思う。

何をしていても鬱な気分が続いていたのはよく覚えてる。

小学校ってのは嫌でも授業参観とか、図工の時間に「親の顔を書きましょう」とか、親の居ない子供に配慮が一切ないイベントが事ある毎にあるので、その度に思い出してしまって憂鬱な気分になるのだ。

あとは友だちとの会話でもそう。

「親の仕事」といった話題になると思い出すきっかけとなってしまってその度に落ち込んでしまった。話をごまかすのも疲れていた。

僕は父親がいなかったことが非常にコンプレックスで周りに隠していたんだよね。結局、心の整理ができたのは中学に入ってやっとだった気がする。

父親とは音信不通ではあったけど、本当は父親がどうしているかを知る機会が何度かあった。
母はその後の行方を知っていたわけだからね。

僕が高校生くらいのときに、母から「いい年になったし父親のこと話そうか?」って話があったのだが、僕は拒絶してしまった。「いや、いい」って確か言ったと思う。

当時、僕の中では父親はそもそも存在しなかったことになっていて、「父親」というキーワード(厳密にはお父さん)が聞こえてきても頭の中からかき消そうとしていた。拒絶反応ってやつかな。

だから父親に関する話があっても一切受け付けずに大人になるまで拒絶していたんだよね。

そんな感じで年を重ねていたわけだが、実はつい最近、ほんとつい最近なのだが、生活面でも余裕が出てきたからか、父がその後どうなったのかが無性に知りたくなって、くだらないかもしれないが勇気を振り絞って母に聞いてみたんだよね。

父は何をしていたかっていうと、すでに数年前に他界していたのであった。死因は階段で転んで脳挫傷で死亡とのこと。

20年以上も会ってないし、心の底から屑野郎だと思っているし、どんな結末になっていてもショックを受けることはないだろうと思っていたけど、なぜか結構大きなショックを受けた僕がいた。

実際、父親がどこで何していると聞いたところで会いに行くつもりは一切無かったのだが、もしかしたら心のどこかでまた会いたいという気持ちがあったからかもしれないね。

本当に会うつもりは一切無かったけど、現実としてもう二度と会うことは出来ないのだと知って、何度も書いてしまうがショックだった。

父が屑なのは間違いないけど、優しい一面もあったんだよね。まあ父の良い面を書こうとすると泣きそうになってしまうので辞めておく。

辛いのである。


長くなったけど、まあ、こんな感じです。

ほんとはもっとここには書けないようなことも沢山あったけど、端折ります。

いやほんと、屑な父親だったよ。

親だけは選べないのが人間の辛いところ。父親には恵まれなかったけど、母親や、少ないながらも友人には恵まれたので、僕の人生はそう悪いもんじゃないって思ってるけどね。