心のスキマが埋まっている状態

最近は、去年感じていた「心のスキマ」が埋まっているようで、寂しさを感じていない。だからツイッターでもブログでも「寂しい」と呟かなくなった。

昔と違って今は休日とあらば必ず外に出ているし、僕と会ってくれる人が二周に一度はいるし、孤独感の全く無い良い状態が続いている。

この心のスキマが埋まった状態は、寂しがり屋な僕にとってとても好ましい状態だ。

一時期、ツイッターやブログで孤独感が多少なりとも紛れると書いたが、実際はそこまで紛れてはいなかった、というのが正直なところだ。

僕は寂しがり屋である。僕が人一倍寂しがり屋なのか、ただの自分の気持ちに正直なだけなのかはわからないが、とにかく、人とリアルで接しなければ生きてはいけないのが僕である。

リアルで接することもそうだが、僕を必要としてくれる人が居てくれることも僕が幸せに生きる為に大切な要素だ。

30代に入って、昔は一緒に海外旅行をしてくれた友人等は結婚をして家庭を持ってしまい、誘っても素っ気なく断られることも多くなっていって、昔からの友人からは昔ほど僕を必要とは思ってくれないような状態になっていた。

友人達とは月日が流れるに連れてどんどんと疎遠になっていくのを感じていたし、去年の今頃は家族以外に僕を必要としてくれる人が殆どいなかったのが強い孤独感・疎外感を感じていた理由だろう。

今のこの心のスキマが埋まっている状態が続くのならば、僕は幸せである、と言える気がする。

一時期は幸せの定義ってなんだろうなんて考えていた気がするけれど、今は少し幸せだ。

幸せを感じるには心が充足している状態を作ることが大事なんだと思う。

僕の心が満たされるには「人間に必要とされている状態を作ること」だと経験からわかった。

一度しか無い人生、出来れば幸せに生きていきたいので、これからも人間に必要とされて生きていきたいものだね。

詰まり、僕と相性の良い人、僕を必要としてくれる人との結婚は、ある意味で手っ取り早い幸せを掴む手段なのかもしれない。

まぁ、今のこの満たされている状態も、結婚も、いずれ必ず終わりを迎える時が来るわけで、それが人生の辛いところなんだけどね。