高校時代(1999年4月~2002年3月)

僕の高校時代の話しです。15歳~18歳まで。

部活は1年間だけ所属。他はバイトしたり、お付き合いしていた女性と遊んだり。

まぁ微妙な高校生活でした。勉強はほぼ皆無に近い・・・。

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ヤンキーだらけの工業高校に入学

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偏差値40程度、ヤンキーだらけの工業高校(電気科)に入学しました。

工業高校に進学した理由は3つあり、

  • 手に職をつけたい
  • 大学に言って普通のサラリーマンはなんとなく難しそう
  • もう受験勉強はしたくない

というなんとなくの理由からです。

勉強も好きではなかったので、高校でも受験勉強をするのはだるいと思った記憶があります。

それと家族全員高卒と中卒という家系も関係していたと思います。教育に対する負の連鎖というやつです。

本当に行きたかったのは高専だったのですが、国立の高専はトップクラスでないと入試には合格出来ないということを中学2年の時に知り、早々に諦めた記憶があります。

唯一1つだけあった高専は田舎のクセに平均偏差値65は必要でした。

それで、当時の学力でも行ける工業高校というのが偏差値40程度だと知り、目標をここに絞ったわけです。

全国平均模試だかなんかでの入学確率(A~Dで表されるやつ)は常にAだかA+で合格間違い無しという結果を見て安心してしまい、勉強のやる気が出ることはありませんでした。

高校はまるで動物園だった

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偏差値40程度の工業高校はまさに動物園そのものでした。感情と本能だらけの人間が多く、人間の質はかなり低かったです。

基本的に偏差値の低い工業高校に来る生徒というのは、勉強が嫌いで育ちが悪いので、素行も不良の場合が多いです。喫煙率はなんと9割を超えていました。(僕は嫌いだったので吸ってません)

みんなが吸うから自分も吸うという負の連鎖です。万引きは日常茶飯事、恐喝をする生徒もかなり多くいました。

僕はその中では割りと真面目だったほうで、悪いことはちょっとしましたが、周りが目立つせいでどちらかというと普通でした。

人間というものは家庭環境、周りの環境に大きく影響されるもの。僕がもし父親になって子供ができたら、経験から導き出される答えとして、やはり進学校に進めるように成長を促す教育をすると思います。

私立への入学を促す親の気持ちがよくわかりました。

普通の高校を出た人には理解できないと思いますが、授業中に寝るのは当たり前、学校内でタバコを吸うのは当たり前、授業中(舐められてる先生の場合のみ)に麻雀をするのは当たり前でした。底辺の工業高校というのはこういう場所なのです。

先のことを考えるのが苦手な生徒は数多く、所謂「できちゃった婚」をして中退するのも当たり前で、3年後にはクラスの2/5が自主退学しているくらいです。

基本的に感情を抑えることが出来ない人が多かったように思えます。

部活とアルバイト

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部活は1年間だけ超体育会系の運動部に所属していました。

その部活は県でも少数であるため詳しくは伏せます。1年で辞めた理由としては、僕以外が全員辞めてしまい、1人でやっていく自信がなかったことにあります。

入ってくる後輩が中学時代に全国1位の超優秀なやつとわかったこともプレッシャーになった記憶があります。

工業高校において部活に所属することは就職時にステータスとなるので、辞める時はかなり迷いましたが、結局専門学校に進学したのであまり意味はありませんでした。

良かった点としては、体育会系でとても辛い部活だったため、ある程度の理不尽には負けない精神を養えたところでしょうか。

ちなみに、たまたま運良く東北大会という大きな大会に出場出来ることになったのですが、やる気を無くしていたため2週間くらい連続でサボってしまい、サボったことがバレて問題となり、職員室に呼び出されたことがあります。

サボったときの言い訳は「親の調子が悪くて…」でしたが、勿論嘘でした。

「お前が辞めたら東北大会への出場辞退断念せざるを得ないが、辞めるか続けるか選べ」と言われ、仕方なく続けた、という経緯があります。まぁ結局すぐに辞めてしまうわけですが…。

高校2年からはバイトばかりしていました。初めは中学の頃の友達に誘われてガソリンスタンドでバイトしていました。半年ほどだったと思います。冬は寒くて雑巾を絞るのがキツく、夏は炎天下の中立ちっぱなしだったので体力的に結構キツい仕事でした。

始めての社会だったので、自分の立ち位置がよくわからず、失敗ばかりして怒られ、嫌になって辞めました。

よくやらかしたのは、給油口のフタを付け忘れていました。10回くらいはやらかしたと思います。フタは社員の人が車で届けに行ってました。

一番のミスは、超大型トラックをレッカー移動させてしまったことです。重油を入れるところに間違って軽油を入れてしまって動かすことが出来なくなり、レッカー車を呼ぶという大きな話になってしまって多大な迷惑をかけてしまいました。

会社自体がそういうときようの保険に入っていたようで大事にはならなかったようですが、居心地が悪くなり、これがきっかけで辞めることになりました。かわいい思い出ですね。

あとは、精算方法が現金とカードの二種類とあるのですが、怖そうなおっちゃんが精算方法を「キャッシュで」と言ってきたときにキャッシュの意味がわからず、何度も「えっ?」て聞き返してたらかなり切れられたこともあります。

キャッシュ=現金ということがわからなかったのです。

てか、聞き返した時点で客も「現金で」とかわかりやすく言い直せばいいんじゃないかと今になって思いますけどね・・・。

ちなみに危険物乙4種を高校で取得していましたが、時給は変わりませんでした。

他には年末年始に郵便局で仕分けや自転車で年賀状の配達のバイトをしたり、薬局で品出しのバイトをしたりしました。

薬局では色々とありましたが、詳しくは伏せます。懺悔はしたつもりです。

バイト代は、服やパソコンにつぎ込んで一切貯金はしませんでした。今思えば車の免許の講習所代くらい貯めておけばよかったと少し後悔しています。

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