高校時代(1999年4月~2002年3月)

勉強はしなかったけど資格はそこそこ取得した

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勉強嫌いだったことも相まって、中学の時よりさらに勉強はしなくなりました。授業中はずっと寝てばかり。

実習は意味がわからなくてクソ詰まらないし、英語とか数学は授業のレベルが低すぎて一気にやる気を無くしました。

英語なんて初めbe動詞からやってたくらいです。底辺高校の授業のレベルは本当にそんなもんなんです。

テストの結果は悪くありませんでした。テストは前日に1科目3時間~4時間程度勉強すれば80点以上は確保できるそんなレベルだったんですよね。

その中で化学だけは難易度が高く、当時の先生がレベルを落としたテストにしたくないからという理由で難しくしていたようです。

化学は授業自体が面白くて、クラスの中でもトップクラスの成績を取った記憶があります。トップクラスと言っても、動物だらけの生徒の中でなので、何の意味もないですけど・・・。

化学が出来たことで、ある女の子と仲良くなるキッカケにはなりました。たまたま通学電車で共通の友人といるときに仲良くなった商業高校の子で、「化学がわからないから教えて」という口実で、実家で教えました。初チューの相手でした。

資格についてはそこそこ取得しました。

  • 電気工事士二種
  • 工事担任者デジタル一種
  • 危険物ほぼコンプ
  • ポケコン検定3級

高校の時に取得した工事担任者一種のおかげで、専門学校へは特待生という名目で入学金の一部(30万円)が免除になりました。

自動車の教習所へは通いませんでした。この後に書きますが、専門学校に入学後に取得を考えていたからです。単に通うのがダルいという理由もありました。

今思えば電気工事士一種と電験三種を死に物狂いで取得しておけばよかったと後悔しています。

同級生の中で1人だけ電験三種に合格し、その後電気系の大学を出て東京電力に内定するという超勝ち組がいました。

まあ、今の東京電力に魅力があるかというと正直微妙ですが。

学校は適度にサボっていた

小学校時代からのサボり癖が治っていないばかりか、高校でさらに悪化しました。というのもサボりまくるクラスメートが何人もいたので、それに感化されてしまった感じです。

とは言っても進学に問題ないくらいには出席しており、月に数回の早退や休みをしていた程度でした。

ちなみに早退して制服姿でプラプラとしていたら近所のおばさんに見つかってしまい、僕が学校を辞めた説が流布された時期があります…。

希薄な友人関係

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友人関係は小学校、中学校の頃と比べてとても希薄でした。今現在、高校の頃の友人とは一切付き合っていません。電話番号すら知りません。

小学校、中学校の頃の良き友人とは打って変わって周りの人間の質が大きく下がってしまったので、深い付き合いには発展しませんでした。表面的に合わせてばかりいました。

その中でも1人だけ気の合うやつがいて、そいつは前述した電験三種に合格した奴のことです。

彼とは月に数回は遊んでいましたが、専門学校に進学して地元を離れたのを機に縁がなくなってしまいました。

彼は独学で電験三種に受かるくらい頭が良く、高校生にしては建設的な考えがあって、そういったところに惹かれて付き合っていました。

基本的に素行の悪い人とは合わなかったですね。

彼女はそれなりにいた

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自慢をするわけではありませんが、高校に入ってすぐに彼女が出来ました。

初めての彼女は15歳の5月で、中学校の時の同級生から家に手紙、所謂ラブレターが届いてそれがキッカケで付き合うようになりました。

スマホが普及した今の時代に手紙で告白とか嘘かと思われそうですが、当時はポケベルさえ持っている人が少なかったのです。夏頃にPHSが急速に普及しましたけどね。

始めての彼女とは半年くらい付き合いました。当時は部活をしていたこともあり、会うのは二週間に1回とかその程度の頻度で、出かけた記憶は花火大会くらいです。

花火大会の時に少し手を繋いだくらいで、それ以上のことはしませんでした。途中、別の子が好きになり、そちらの子と付き合うようになりました。二股というやつです。

田舎の為すぐにバレて初めての彼女には振られました。

工業高校は受験勉強に費やす時間が無いためか彼女が出来やすい環境で、クラスの半分近くが彼女がいた記憶があります。

クラスの9割が男だったので、付き合う女の子は大体他校で、多くは紹介によって結ばれる傾向にありました。

大体は勉強が苦手同士付き合っていた気がします。

高校の3年間はずっと彼女がいました。僕の顔は10点中4点から人によっては5点ちょっとあるくらいで、むしろ頭はでかいし、おでこは8.5cmもあるし、ハゲ気味だし、常に眠そうなトボけた顔をしていますが、工業高校は普通の進学校とかに比べて受験勉強をしなくても良いため時間があり、彼女が出来やすい環境だったという、それだけの理由だと思います。

今では死語かもしれませんが、メル友とかもいました。まあそれは書いても詰まらないので省きます。

卒業後は専門学校へ進学

成績はそんなに悪くはなく(評定平均3.7~4.0くらい)、資格も周りに比べれば取得していたので就職には多少有利でしたが、所謂工業高校の中での勝ち組就職先である大手工場(ビール工場や車関係)、JR(運転手)、火力発電所に行ける成績はありませんでした。

それらの勝ち組企業は評定平均で4.5は必要だったのです。

結局、就職はせずに、他県にある専門学校に進学することにしました。

こうして僕の高校時代は終わりを迎えました。一応明示しておきますが、補導歴はありません。

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新卒時代(ブラック企業の時の話。21歳。)
社会人時代 その2(2社目に転職してからの話。)
社会人時代 その3(3社目の大手子会社の話し。24歳~28歳の頃)