社会人時代 その3(3社目の大手子会社の話し。24歳~28歳の頃)

仕事内容はかなり楽

そんなこんなで、派遣されてすぐにそのような一悶着がありましたが、その後は暫く安定。

仕事は前職の知識が活かせたし、プロパー社員も自社の先輩も若い僕に良くしてくれて、居心地は大変良かったように思います。

残業時間は月に10時間ほどで、年間休日は有給を絡めると125日~130日近くとっていたと思います。

まぁ通勤時間が2時間くらいあったので、それがネックではありましたが・・・。始発駅 – 終着駅だったので、行きも帰りも寝ていられるのは救いでしたね。

ちなみに派遣先の始業時間が8時40分だったため、朝起きる時間は5時40分でした。それで6時30分の電車に乗る。人も殆どいなくて途中まではそれなりに快適な電車でした。

行きも帰りも寝ていられたので、この時の睡眠時間は4時間半~5時間だったと思います。よく続いたもんだ・・・。

派遣の僕は仕事内容が楽でしたが、プロパーの人はそれなりに大変そうでした。というのもプロパー側の上司が怒鳴るタイプで、完全なパワハラをしてましたからね。

プロパーにはパワハラしまくりの現場

ちょっとミスったプロパーの人を呼びつけて、人前で大声で怒鳴る事も何度も目にしました。アレはそれなりの大手企業なのにマズイんじゃないかな?とよく思ってました。

プロパーの中でも仲が良かったのは二人で、僕の20個上の糖尿病・離婚歴有り・メタボおじさんと、15個上の新型鬱病・メタボオタクおじさんでした。

(僕は本質的には根暗でイケてない人間なので、必然と仲がよくなるのはそれに近い人なんですよね。)

そのお二人はことある事に上司に怒鳴られていて、その度僕に愚痴ってきてとても面白かったです。

他人の愚痴に付き合っていて面白いと感じれるのは中々無いことだと思います。

20個上のメタボおじさんは本当毎日怒られてたなぁ。

よくある光景は、パワハラ上司から会議に使う資料を作成するよう指示されていて、期限当日に半分も出来ていないことが殆どだったんですよね。それで毎回僕に

「今回も出来てないよ~。はぁ~怒られちゃう。」

なんて愚痴ってきてました。かわいいダメおじさんだったんですよね。

そして期限当日になってパワハラ上司が、

「マツナガ(仮名)ァ!?オマエ資料いつ終わるんだよ!?ちゃんとやれよぉ!!(超怒)」

ってみんなに聞こえる声で怒鳴るんですよね。

その度にマツナガさんは頭を下げて、神妙な面持ちで、涙目になって「すいません」と謝ってました。(毎回泣きそうな顔になってた)

その光景は、言っちゃ悪いんですが、なんか笑えたんですよね。マツナガさんは期限まで出来ていない事が殆どでしたけど、原因としては日中によく僕と雑談してさぼってたこともかなり影響していると思う。

隣の席のよく会社をサボる新型鬱病のメタボおじさんと僕を交えてその上司の愚痴大会です。(その上司もパワハラをする事実があったので言われて当然の人でもありました。)

話しの上手な人で、昔話しとか聞くだけですごく面白かったんだよなぁ。

毎日2Lのコーラとチョコレート食べて、健康診断で毎回引っかかってても無視し続けて、その結果、第二型糖尿病になってしまったという話しを聞いた時は、マツナガさんには申し訳ないけど爆笑してしまったんですよね。

そんなマツナガさんとメタボおじさんは、今も元気にしているんだろうか・・・。

って、全然僕の話じゃなかったですね。

派遣だからと言って大きな差別とかはなかった

仕事はプロパーとあまり変わりません。プロパーだけの会議とか、一部の製品は対応できないとか、そのくらいはありましたが、メインのサポート業務はほぼ同条件で対応してました。派遣だからと肩身の狭い思いはしていなかったと思います。

まぁ、よく近くの会議室から「派遣には任せられない」とか、「派遣だとすぐにミスるからダメだ」とかそういった趣旨の話は聞こえてきましたが、話しの一部しか聞こえてないので、どういった流れでそういう話しが出たか、まではわからなかったのでなんとも言えません。

総合的に見れば、テレビとかで言われるような「派遣を差別する」みたいなのは、表面的には感じませんでした。

前職でも某メーカーに派遣されてましたけど、そこでも殆ど無かったかな。

僕が鈍感なだけかもしれませんけど・・・。

上司にブチ切れる

20個近く年上の上司に本気で切れてしまったことがあります。

きっかけは2011年の大震災のときでした。

震災の翌日は夜勤だったのですが、あらゆる電車が止まってしまっており、片道2時間だった為に通勤できるような状況ではありませんでした。

なので会社に連絡し、受付の人に

「電車が止まっているので行くことができないので休ませてください」

という、まぁ筋の通った連絡をしたわけです。僕が休めば誰かが夜勤の穴埋めをする必要がありますが、そんなのは僕の知ったことではありません。

そしたら数分後に上司から折り返しの連絡があって、

「何ふざけたこと言ってんだ。タクシーでもなんでも使って来い。夜勤は誰がやんだよ?遅れてもいいから早く来い!」

などと、ふざけた連絡が来たわけです。

この上司は僕よりも更に遠いところから通勤していたのですが、頭がおかしいのか自腹を切ってまでタクシーを乗り継いで電車が通っているところまで向かい、そこから電車に乗ったというのです。

まぁ頭がおかしいんだと思います…。タクシー代は自腹とのことですし。

僕は自腹を切ってまで無理やりに会社に向かうような、魂まで会社に売った覚えなど到底なかったので、「自腹を切ってまでいくつもりはありません。」と答えました。

そしたら上司が切れだして「ふざけたこといってんじゃねー!」みたいに言ってきました。

…僕もあまりの理不尽さを受け、ついに堪忍袋の緒が切れてしまい、

「何がふざけろだこの糞ボケが!!オレは社畜じゃねーんだよボケ!!行くかボケ!!○X三△…!!!!!!」

…などと、怒鳴り散らしながら色々言ったと思いますが、はっきり覚えているのは「オレは社畜じゃねーんだよボケ!」です。

僕は普段切れることはまずしません。大体自分が折れるからです。「争っても無駄だな」と言う考えがあるからです。

ただ、相手が理不尽さを全面に出してきたときや、自分に損がかぶる場合や、暴力を受けた場合は別です。

あまりの剣幕だったためか、上司は言い返すこともせず、

「わかったよ。休んでいいよ。夜勤はオレがやっておくよ。」との事でした。

今でも思いますが、震災で交通網も麻痺した状態なのに無理にでも出社しようとする精神が全くわかりませんでした…。

僕がおかしいのか、上司がおかしいのかは人それぞれの仕事に対する価値観だと思いますが、僕は自分が正しいと思っています。

今後も大震災などがあった際は仕事は二の次どころか三の次にして、まずは身の安全を確保し、家族に何かがアレばそちらを優先し、休むことを前提に行動する予定です。

全財産のほぼ全てを失うFX事件

仕事の面では大した出来事は殆どありませんでしたが、プライベートでは何度か大きな出来事がありました。

そのうちの1つがFXでの大損害です。

よく見るブログで豪ドルスワップだけで毎月5万だか6万の不労収入があるとかみて、なんとなく僕もやればお金稼げるかなぁ、なんて軽い気持ちで手を出したのが始まりだったと思います。

元手は80万円で始めました。ほぼ全財産ですね。当時は1ドル100円くらいで、どうせすぐに1ドル120円くらいに戻るだろうと考え、買い(円を売って外貨を買うこと)でたくさんドルを保有しました。

レバレッジは30倍くらいでやっていたと思います。買ったら+1円で売り抜けるような取引ばかりやってましたが、初めは非常に順調で、簡単に30万円くらい稼げました。

勝率は95%くらいあったと思います。まぁ、残りの5%のためにこの後痛い目を見るのですが・・・。

指し値で売れなかったドルはそのまま保有していました。前述したように、相場が復帰したときに1ドル120円くらいに簡単に戻るだろうと考えていたからです。

そんな取引を続けていたら、数ヶ月で元出の80万円が170万~180万くらいまで膨れました。(この辺の数字はちょっと曖昧な記憶です。)

保有するドルの数も相当数ありましたが、いずれ120円に戻るだろうと軽く考えていたので、負けることは全く考えてません。

そんな感じで取引を続けていたら、ギリシャショックが起こりました。ドルやユーロ価値が一気に大幅下落。

ドルをレバレッジ30倍ほどで大量に保有したので、わずか1日か2日で殆どの保有ドルがロスカットされてしまいました。

1日か2日で資産180万→50万円くらいにまで吹き飛んだのです。

必死に貯めたお金が吹き飛んでいき、頭痛、吐き気、体の震えが止まらなかった事はよく覚えてます。

体調が悪くなってしまったこともあって、この時は会社を休んでいました。本当に震えが止まらなかった。頭痛も止まらなかった。(多分片頭痛かも)顔面は蒼白です。

家では現実逃避をしようとしても何も手がつかず、ただ、寝ているだけでした。起きては頭を両手で抱え、悶え苦み、嗚咽していました。

結局、最終的には全てロスカットされ、資産は一時期180万円まで膨れていたのが、萎んで30万円となったところでFXからは完全に手を引きました。

いい意味で、若い時に良い経験ができたのだと、今では思っています。実質的な損害は100万円もなかったのですから・・・。