唯一ハマっていた趣味はリネージュ2
当時はこれといった趣味は殆ど無く、唯一ハマっていたのはネットゲームのリネージュ2でした。
リネージュ2をプレイしていた頃はパソコンを3台使って、切替器まで用意して必死にレベル及びアデナを稼いでいました。
アカウントは5つ。メインキャラはグラディエーター。他のアカウントにプロフェット、シリエンエルダー、ダンサー、シンガーを作り、一人で全て操作して必死にレベルをあげていました。
必死に転売をしたりしてアデナを稼ぎ(転売の仕方が必死すぎてよく某掲示板に晒されていました)、ボスアクセサリーはアンタレス以外は所持していました。
ただ、リネージュ2は専門の頃にプレイしたラグナロクオンラインのように、思い出ができたりは殆ど無かったです。
リネージュ2で出会った人とはオフ会もしていないし、ゲーム中に思い出になるような場所もなかったし、ただただ無駄な時間を過ごしたな、という感覚が残ってます。
その他にはそれらしい趣味はありませんでした。Xbox360に少しハマったり、自転車に軽くハマったりはありましたが、それくらいです。特筆すべきものは他に無し。
今以上に無為な日々だった
これを書いている32歳現在も無為な日々を過ごしていますが、当時は今以上に無為な日々を過ごしていました。
休日になっても何もやることがなかった。仕送りをしていてお金もほとんど無かったし。
一番酷い時は、昼過ぎに起きて、朝飯兼昼食にたらふく食事をとり、ボーッとニコニコ動画のプレイ動画を見ながら昼寝を繰り返し、それだけで1日が終わる。・・・そんな休日がずっと続いていました。
この頃は友人と遊ぶことも殆どしていません。本当に記憶に残っていない、空白と言っていい無駄な時間を過ごしていたものです。
唯一遊んでたのは専門時代からの付き合いのあるNと、ドライブしたり、府中駅でカラオケしたり、廃墟に行ったり、そのくらいです。
他に何もしていなかったので、その時の記憶は色濃く残ってはいますけどね。
奥多摩湖だかその辺でとった写真。
奥多摩街道?に行ってドライブして、その後湖に行って、廃墟に行って、食事をとって終わりという流れ。
初めての海外旅行は韓国に
中学の頃からの友人に誘われて、二人きりで韓国旅行に行きました。
目的は特に無し。とりあえず行ってみようということで、3泊4日のフリープランで5万円ほどの旅行だったと思います。
「行きたいところあったら考えておいて」と言われましたが、昔から観光地に全く興味がなかったので、友人についていくだけという、楽な道を選択しました。
どっかの世界遺産をほっつき歩く僕です。
本当、人工的な建造物に全く興味が持てなくて、世界遺産をいくつかめぐったような気もしますが、全く記憶に残っていないのです。
腕組する僕。
有名な建造物。興味もないので覚えてすらいないけど。
韓国と日本は仲が悪い、とネットを見ているとよく思いましたが、実際に韓国に行った時は親切にしてくれる人が多かったような印象を持ってます。
電車に乗ろうとしても乗り方がわからずにアタフタとしていたら、身振り手振りで教えてくれた若い女性や、道を教えてくれた親切なおじさんとか、あとはなんだ、なんか覚えてないけど、ネットのイメージとはまるで違うな、というのが印象に残ってます。
あとは食事がめちゃくちゃ美味しかった。韓国料理は美味しいものが多い。特にプルコギが大好きになった。あれは旨い。
この3泊4日で覚えてる記憶は、
- 友人と喧嘩したこと
- 夜のお店に行こうとしても行き方がわからずに3時間夜の街を歩いて行き着いた先がただのマッサージ屋だったこと
- 料理が美味しかったこと
- 親切にしてくれた人がたくさんいたこと
- ツアーで一緒になった30代後半の女性からグイグイ来られたこと(何も無かったけど)
- どこでもキムチの匂いがしていたこと(僕はキムチ好きだからいいけど)
こんな感じだったかな。
非日常を味わえて楽しかったです。また誰かと旅行に行きたいなと思うけど、もう僕にはそんな都合の良い友人が誰もいないんですよね。独身仲間は旅行嫌いだし。寂しい。
女性との絡みは殆どなかった
ほんと無為な日々を過ごしていましたが、女性との絡みは3回ほどありました。
僕のことではないのであんまり詳しくは書きませんが、当時のブログには載せていた「サバサバちゃん」という女性と同棲したことがあります。まぁすぐに出て行ったわけですが。詳しくは書きません。
3回のうち1回は、本気で好きになった会社の後輩の女性です。容姿端麗なのに控えめで、歯並びもとても綺麗で、芸能人で例えるなら桐谷美玲のような、そんな女性でした。いや、ほんと、めちゃくちゃかわいかったんですって。
まぁこの出来事についても僕のことではないので詳しくは書きませんが、色々あって、僕は僕であまりにも好きすぎて感情系が思考系では制御できない自体に陥って、暴走してしまったりしました。
この苦い思い出は、将来良い思い出に変わるのだろうか・・・?
そして転職へ
それなりに安定した日々を過ごしていました。
殆ど変化もなく、休日は何もせず無為に過ごす、安定はしていましたが、刺激の殆どない、詰まらない人生だったと思います。
そうこうしているうち、専門の頃からの友人が転職に成功しました。東大生も入るようなとても良い企業に転職でき、僕は劣等感・嫉妬心・妬みといった感情を感じていました。
刺激のない平坦な日々、友人への嫉妬心、若さ、様々な感情が揺れ動き、転職活動をすることにしました。
そう思った時、前職で派遣で行っていた大手メーカーで中途採用を募集していたのです。
巡り合わせというのはあるのだなと思い、思い切って応募することにしました。すると以前に派遣で働いてた実績もあってか、トントン拍子で事が進み、出来レースの面接を終えて合格通知が届きました。
当時は舞い上がって喜びました。これで晴れてメーカーの社員だ!落ちこぼれの専門時代から考えれば大躍進だ!!僕って運があるな!!!
本気でそう思っていました。
そうして、僕の大手メーカー子会社勤務時代は終わりを告げることになります。
若くて貴重な期間なのに、本当何もしていなかったなぁ。